【大阪】幼い頃に育った街を訪れてみる
育った街を訪れたきっかけ
日本のあちらこちらで再開発が進められていて、テレビで観る、行ったことのない街でさえ、「変わったなぁ」と感じます。
一昨年の秋、関西地方に住む友人に会うことになったのですが、その友人の仕事終わりまでの時間潰しとして、4、5歳ぐらいまで住んでいた街に行ってみることにしました。
駅に降り立ったものの。。
全く記憶にありません。駅舎が変わったからというわけではなく、当時4歳でしたから当たり前といえば当たり前です。
方角の検討もつかなかったので、Google Mapを片手に歩いてみました。
少し記憶が。。。
川が見えてきたところで、母から「この川を渡ってあっち側に行ったらダメよ!」と口を酸っぱくして言われたことを思い出しました。小さかったので、迷子にならないように注意されていたのだと思います。
当時はこんな立派な歩道や手すり、左手のマンションはありませんでした。
この川の向かって右手のエリアに住んでいたようです。
記憶にかすかに残っているところを発見
「おたびしょ」という言葉は、引っ越してからも何度か母から聞いていたのですが、こんな漢字を書くのだとあらためて知りました。御旅所とは?
普段は買い食いを許してもらえなかったのですが、この御旅所の祭礼の時には露天で食べ物を買ってもらったような気がします。
夜に家族で祭礼に出かけたせいなのか、私の御旅所のイメージは「赤」。提灯に灯りがついていたのでしょう。
もう2度と来ることはないだろうと思い、幼少期を懐かしみながらお参りしました。
まだあった!
この御旅所からもう少し歩いたところに、4歳ぐらいまで住んでいた建物がまだありました。私が生まれる前からあったそうなので、60年近くになるのではないでしょうか。
阪神大震災があっても生き延びてきたことに驚きです。
当時の写真を見ると、もちろん今の状態よりは新しくてきれいです。
しかし、大人になってから見ると、こんな狭い玄関だったんだな、大柄の父はさぞ出入りが大変だっただろうなと、、
うっすらと、近所の商店のことも思い出しました。当時は大型店舗がなかったので、近所の商店に母に連れられていくことが多かったせいかもしれません。
週末の朝食はパンのことが多く、パンのお使いをよく頼まれていました。4歳児にお使いに行かせることができた昔。今では考えられないことですね。
母にもこれらの写真を見せたところ、「まだアパートも商店もあったのね!」と、とても驚いていました。
父の転勤に伴ってあちらこちらに住みました。これからも何かの機会があれば、育った街を訪れてみたいと思います。
その他立ち寄ったところ